そんなこと。

頭の中を洗い出し

1.19


10の好きと1の嫌いでは後者の方が影響力を与えてしまうのは何故だろう。
どんなに澄んだ水であっても、そこに悪意の墨が落とされれば黒は広がり水を濁らせてしまう。なんで、悪意にはそこまでのエネルギーがあるのだろう。好きは嫌いに勝てないのか。

応援とか好意はガソリンになり、さらに遠くまで進めるようになる力で、憎悪や悪意はブレーキとなり、進んでいるものを止めてしまう。進んでいるものがより進むことより、進んでいるものが止まる方が現象として分かりやすいから、嫌いのエネルギーが強く見えるだけなのかな。

なんで悪意が進む人のブレーキになるんだろう。なんで辺りに滲み広がる墨なんだろう。自分自身も他者も暖かい言葉だけでは守りきれない。

ネットニュースの見出しもネガティブなワードが並ぶことが多い。「不仲」とか「裏の顔」とか「逆ギレ」とか。そういう言葉の方がアクセス数稼げるんだろう。そういう言葉が人を惹き付けるんだろう。

ネガティブな言葉が持つ力ってなんなんだろう。「好意の方が多いんだし悪口に負けないで!」って思う部分と「そうだよなぁ……そういう言葉って心をじわじわ潰していくよなぁ……」という思いと。「なんで悪意に潰されなくちゃいけないんだ!」という悔しさも。

そんなの、そんなのにそれだけの力があるんだよなぁ。人の心を削ぐには十分すぎる力が言葉にはある。なんで言葉がそんな力なんて持ってるんだろ。

仮に、私が英語でぶわーっと悪口言われても聞き取れないし読めないし意味を知らないからけろっとしてられるけど、その言葉の意味を知った途端それに対する感情が出てくるのはなんなんだろう。ただの音の癖に。文字の癖に。

一方で、そんなただの音や文字が、意味や感情をつれて物語の世界を作り出し、人を感動させたり笑わせたりする。このブログだってただの文字列だけど、なんらかの意味や感情を放っている、はず。

包丁とか車と同じでめっちゃ便利だけど使い方を間違えれば凶器になる。言葉もそう。水も生命に欠かせないけどその水が人を殺してしまうこともあるし、大抵のものは便利と凶器の紙一重のところで存在しているものなのかな。

同じ墨を落とされるなら、コップ1杯の水を持つより琵琶湖ぐらいの水を持てたらいいのかなぁ。きっと好意や応援も無駄じゃないよね。好きなことほど嫌いより大きな声で伝えていきたい。