そんなこと。

頭の中を洗い出し

1.23

久しぶりに体調を崩してしまった。関ヶ腹の戦いである。
あまりにも痛いもんだから段々腹が立ってきて「がんばれお腹ー、負けるなお腹ー、」と話しかけてたら痛みが引いてきた……気が……する。いや、やっぱ痛いわ。
痛みの無い普段の生活がどんなに幸せなことか思い知る……。健康って素晴らしい。

普段はなんとなく意識だけが中心にあるソロプレイって感じだけど、ほんとは色んな器官とか手とか足とか複数によるチームプレイで「私」が成り立ってるんだなぁ、と痛みの狭間でぼんやり思ったり。

指をちょっと切っちゃった時も、私が「治れ~治れ~」って念じなくても日に日に勝手に治っていくし、私の体なのに私の知らないうちに傷を再生するために色んな何かが働いてるんだなと思うと不思議。
多分この瞬間も体は頑張ってるんだろうなぁ。にも関わらず呑気にブログ更新してるんだからどうかしてるよ。さっさと寝よ。

1.22

記憶を消してもう一度読みたい作品がある。
予測できない展開と結末にめちゃくちゃ興奮したあの読書体験は、多分ずっと忘れることがないだろう。

昨日、久しぶりにその作品を読み返した。
やっぱり面白いし引き込まれるけれど、結末を知っているから最初ほどの感動もなく興奮もなく、ちょっと物足りなく感じた。初めて読んだときの自分が羨ましい。


よく本の帯とか映画の宣伝で「衝撃のラスト」とか「ラスト5分が~」とか「どんでん返し」が言われるけど、こういうのって知らずに読んだり観たりした方がより衝撃的で面白いと思うんだよね。
ラストが近付くにつれて「どんでん返しあるぞー」って構えてしまうし、どんでん返しがあると分かっててどんでん返しされても「なるほどー。こうなったか」ってなっちゃう。

なーんにも知らずに騙されたい。
なーんにも知らない最初の1回がめちゃめちゃ楽しいから。

1.21

 好きな気持ちだけで楽しい事だけで愉快だけで皆生きていけたらいいのになぁ。言葉だって感情だって汚いの全部無くして心地いい言葉だけになればいいのに。冷たいこと全部無くなればいいのにな。何も良いことないんだから無くていいよ。落ち込むなんてまさに無駄じゃん。何も生み出さない。憂鬱を味わうだけのものだよそんなの。

 

でも、どこかに相反する存在が無いと良さも無くなってしまうのかもね。冷たい人がいるから親切な人に出会うとありがとうって思うし、嫌な言葉があるから優しい言葉に触れるとほっとするし、憂鬱を知っているから感動できるのだろうし、平日があるから休日が嬉しいし、素朴な人がいるから美人が美人でいられるし。

 それが普通じゃないから、当たり前じゃないから、嬉しいとか楽しいとか大好きとかありがとうとかそういう特別な感情が生まれるのかな。優しいことの優しさに気付く為に意地悪なことがあるんだなきっと。

1.20

中身のない話

 

 

あんこの入っていないたい焼きが食べたい。

あんこの入っていない大判焼きが食べたい。

具の入っていない肉まんが食べたい。

 

メロンパンの皮だけというマニアックな商品が発売されている中で、何故皮だけのたい焼きやあんまんは発売されないのか。ふわっとした食感にほのかに甘いあの生地のポテンシャルに気付いてくれ大企業。

 

決してあんこが嫌いなのではない。しかし、あんこに派閥があるように、山菜某お菓子に派閥があるように、たい焼きにも皮だけ派の選択肢があってもいいだろう。打ち上げ花火ですら下から見るか横から見るか選択肢を提示されるというのに。

 

ということで、検索してみたら皮だけのたい焼きを売っているところあったし、肉まんも生地だけとかあった。ポピュラーさには欠けるが意外と生地支持者居る……。こうしてインターネットはいつも私が大衆の一部に過ぎないことを教えてくれる。

1.19


10の好きと1の嫌いでは後者の方が影響力を与えてしまうのは何故だろう。
どんなに澄んだ水であっても、そこに悪意の墨が落とされれば黒は広がり水を濁らせてしまう。なんで、悪意にはそこまでのエネルギーがあるのだろう。好きは嫌いに勝てないのか。

応援とか好意はガソリンになり、さらに遠くまで進めるようになる力で、憎悪や悪意はブレーキとなり、進んでいるものを止めてしまう。進んでいるものがより進むことより、進んでいるものが止まる方が現象として分かりやすいから、嫌いのエネルギーが強く見えるだけなのかな。

なんで悪意が進む人のブレーキになるんだろう。なんで辺りに滲み広がる墨なんだろう。自分自身も他者も暖かい言葉だけでは守りきれない。

ネットニュースの見出しもネガティブなワードが並ぶことが多い。「不仲」とか「裏の顔」とか「逆ギレ」とか。そういう言葉の方がアクセス数稼げるんだろう。そういう言葉が人を惹き付けるんだろう。

ネガティブな言葉が持つ力ってなんなんだろう。「好意の方が多いんだし悪口に負けないで!」って思う部分と「そうだよなぁ……そういう言葉って心をじわじわ潰していくよなぁ……」という思いと。「なんで悪意に潰されなくちゃいけないんだ!」という悔しさも。

そんなの、そんなのにそれだけの力があるんだよなぁ。人の心を削ぐには十分すぎる力が言葉にはある。なんで言葉がそんな力なんて持ってるんだろ。

仮に、私が英語でぶわーっと悪口言われても聞き取れないし読めないし意味を知らないからけろっとしてられるけど、その言葉の意味を知った途端それに対する感情が出てくるのはなんなんだろう。ただの音の癖に。文字の癖に。

一方で、そんなただの音や文字が、意味や感情をつれて物語の世界を作り出し、人を感動させたり笑わせたりする。このブログだってただの文字列だけど、なんらかの意味や感情を放っている、はず。

包丁とか車と同じでめっちゃ便利だけど使い方を間違えれば凶器になる。言葉もそう。水も生命に欠かせないけどその水が人を殺してしまうこともあるし、大抵のものは便利と凶器の紙一重のところで存在しているものなのかな。

同じ墨を落とされるなら、コップ1杯の水を持つより琵琶湖ぐらいの水を持てたらいいのかなぁ。きっと好意や応援も無駄じゃないよね。好きなことほど嫌いより大きな声で伝えていきたい。

1.18

 

おたくの私。

この私が一番楽しい。推しが喋るだけで尊さが爆発して泣き、推しが動くだけでこの世の褒美と言わんばかりに泣く。今まで何度も墓に入ってきた。このために生きてきたとすら思う。ただひたすらに楽しく、眺めているだけで幸せ。あぁ、本当に楽しい。

 

 

この前「あなたは何人いますか?」という質問が目に止まって、面白いなと思った。その前にも「肩書を増やす」とか「色んな自分を持つ」みたいな話を読んでいたのもあって、私は何人いるんだろうと考えてみた。

 

本を読む私。塗り絵をする私。おたくの私。料理をする私。考え込む私。人と居る時の私。一人でいる時の私。

もっと細分化すれば出てくるだろうけど、ざっくりこんな感じ。

この中でも「やっぱりおたくしてる時が一番楽しいな」としみじみ思った。

 

高校生の頃は今以上にアニメとか声優さんが好きで、あの時が一番活発だったなと思う。毎週アニメを録画して帰宅したら見るのが楽しみで。イベントの度に新幹線に乗って東京まで行き、やれCDだDVDだ雑誌だと朝一番に買いに行き。毎週ラジオを聞いてはメールを送り、コンビニとコラボすれば朝から何軒も走り回り。握手会ともなれば念入りにトリートメントをして化粧をして服も買い揃えてやー楽しかった。ファンレターもめっちゃ書いた。ネットを通じて友達も出来た。あー青春。

 

蟻の1歩で喜んでる今の私と同じ人間とは思えない熱意と行動力……。

ここ数年はすっかり熱も冷めて細々とゲームをやったり、いい声のCDをたまに買う程度に落ち着いた。てなもんでしたが、最近推しの新規絵が出て泣いた。アニメ見たらめっちゃ喋ってて泣いた。しかも脱ぐし歌うししんどい。やっぱり楽しいって思った。好きのパワーが溢れてるんだろうな。推しありがとう。

 

1.17

 

できないことがしたい。

今までしたことのないことがしたい。

してみたいと思いながらしないままのあれこれがしたい。

 

考えている事を文章にするのは思っていたよりずっと難しい。脳内で言葉の乱闘だ。

「考える」って何もしていない事と同じなんだなと気付き始めて数か月。頭の中は見えないから、どんなに悩んでようが分からない。他者から見れば私はぼーっと椅子に座っているだけで「何もしていない」と言われてしまう。で、腹が立つ。「めっちゃ考えてんだよ!」と。しかしその思考は見えないし、私はただじーっと座っているだけの人。行動したことが全てだなと自分でも思う。そこで、頭の中を文章化して発信すればそれも1つの行動になるのでは?と思い意欲的にブログを更新していきたいところ。

 

一方で、蟻の1歩みたいなことをひっそりやっていたりする。私的には「やってやったぞ!」と嬉しくて手帳に書いたりしている。しかしやっぱり1歩が小さすぎて見えない。「何もしていない」と言われる。腹が立つ。言葉のパンチを食らった気分だ。それでもこういう1歩を大事にしたい。