そんなこと。

気紛れに。

使い方

 

当たり前に喋って意見してコミュニケーションしているけど

案外伝わってないよね。

 

人なんて、ニンゲン語が話せる犬とかニンゲン語が話せるてんとう虫って感じ。

それくらい皆違うし、たった一言も思うように伝わらない。

すれ違ってるのになんとなくで会話してる。

その言葉に込めた意味とその言葉から感じた意味とがずれる。

よくこんなので皆会話してるよね。

思うことが思うままに伝わらない。

声に出たものが100じゃない。余計分からない。

 

伝えようとして言葉が多くなる。めんどくさくなる。気楽な雑談にならぬ

どうすれば自分の言いたいことが誤解なく伝えられるのか

そんなことを考えると何も言えなくなる。

伝わっているのか心配だ。誤解されていないか心配だ。

思うことがそのままに伝わらない。たぶん、半分伝わっているかいないかくらいじゃないだろうか。誰しもそんなもんな気がする。

 

言葉に傷つき言葉に励まされる。

言葉って何なのだろう。触れないのに見えないのに感情に刺さる。

言葉に笑ったり泣いたり。不思議だなぁ。

優しい言葉冷たい言葉甘い言葉心を抉る言葉色々。

怒鳴り声が聞こえる。

言葉に乗せた感情が聞き手の感情を動かすのかな。良くも悪くも。

 

こんな扱いにくいもので他人と交流してるんだもんな。

話す言葉、書く言葉、点の言葉、手で表す言葉。ほんとに色々だ。

言葉が無けりゃそれはそれで大変だ。毎日がジェスチャーゲーム。

でも言葉があったって、考えないだけでジェスチャーゲームみたいなもん。

分かってるようで分かってない。すれ違ったまま今日も。

 

 

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目が届く範囲

 

最近、塗り絵にハマりました。

100均で売ってた絵柄が可愛くて。

なんとなく買って塗ったらめちゃくちゃ楽しい。

 

塗り絵本も何冊か買って、ページをめくるたびに胸がときめき、

頭の中でどんどん色が出てきて、あたしゃ天才かも知れないと調子に乗りながら塗ってた。時間を忘れて夢中になれる作業。めっちゃ楽しい。

 

他の人たちはどんな配色で塗ってるのか、どんな作品があるのか、

気になって検索かけて見たら私より上手い人なんてゴロゴロ居て、思い上がりの天才はただの凡人でしたとさ。その途端に楽しくなくなってしまった。

あれだけ次から次へと浮かんだ色もちっとも浮かばなくなっちゃって、何色で塗ればいいのか分からなくて、塗っても下手で変で最初の頃は使わなかった消しゴムの出番が増えた。どうも楽しくない。自分だけの世界が膨らみ切って消えちゃって、他人の世界が邪魔をして、なんだかなあ。見なきゃよかった。

一気に何枚か完成させたから、想像力出し切っちゃったってことにしておこうか。充電しなきゃですかね。

 

とりあえず、一旦塗り絵から離れよう。

と思っても他にすることが無い。どうにも色鉛筆が気になる。塗りかけのあれが気になる。身の回りにある物なんでも配色が気になる。色の事ばっか。でも塗りたくない。モヤモヤする。あんなに楽しかった感情どこに行ったんだー。

上手く楽しく塗りたい自分と上手くない楽しくないやりたくない自分。

このまま考えるとほんとに嫌になりそうだから、距離を置こう。充電してくださいの画面が出てる。きっとそうだ。ずーーーーーーーーっと塗ってたから電池切れもしょうがないか。

読書とゲームと散歩の世界に帰ろ(・ω・)ノシ またね

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埋めてたものをどけたら空っぽになって、なんか寂しい。

荷物邪魔だなー重いなーなんて思っていたけど

すっからかんだー。

 

良い挨拶できたって良い挨拶が返ってくるわけでもないし

はりきって向かっても案外なんもなくそっけなく終わってゆくものだ。

意外と日常はしょうもない。何もないのが一番だ。

 

今まで、いやなことばっか見つめてたけど

それだけじゃなくて嬉しいことも優しいこともあったじゃん

「感謝の気持ちを忘れない」なんていうのよく聞くし見るし

まあそうだよね、てなもんで特に考えずに

「ありがとう」って言う(思う)のを忘れない、してもらって当然と思わない。

という意味に捉えてたけど

ありがとうと思えることがあったこと、ありがとうと思える人がいたこと、を

忘れない。という捉え方もあるのかななんて思った。

 

 

ひどい言葉も思い出せば思い出した分何年も残るけど

してもらった優しさもやっぱり確かにあるし思い出してみれば抱えきれないくらい。

このことは、自分の土台になるようで、沈む一方だったものがぐっと支えられる気がする。大事なことこそ忘れちゃだめだ。

 

それは土台になり柱になったけど中身がすっからかんで心細い。

豪華じゃなくていいから華やかじゃなくていいから

中身が詰まっているが故に飾りのいらない素朴さを持てると良い。

 

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思いもよらぬ

 

卒業が確定しました。

学んだことより色々あったことの方が残っていて何のために進路選択したんだろうなんて思うけれど、ここでやっと1つ区切り。やっと。やっっっと。

私の人生史上いちばんの暗黒期。これ以上の暗黒が更新されなければいいな。

ずるずるとだらだらと引きずらない為にこの数年に「。」をつけようと久しぶりのブログ更新。はたして次に進めるのかしら。

 

うまくいかなかった出来事をどんな風に処理すればいいんだろう。整理すればいいんだろう。丸をつける為、なんて書いたけど多分振り返る事より次に進むことが本当の区切りになるのかなと思ったり。

 

もうそれはそれは長い夏休みでしたので、そろそろ人里に出ないとな…。

年齢に相応しい立場にいないとね。ぼーっとしてるだけでも1年1年歳だけ大人になっていくのめちゃくちゃやだな。

怖いなぁ。怖いってなんなんだろう。怖ささえ感じなければ何でも出来そうなのに。

次に進めるかなぁ。進まないとなぁ。

人との新たな出会い!なんて思うと、嫌だったことがわんさか出てきて「あー…また同じことになったらどうしよ…」と止まってしまう。

喋れないくせに何か言わなきゃ何か話さなきゃ話題話題…としてる間にそれはそれは疲れたし、でも黙っているとつまらなそうな顔をされ話が続かないと不機嫌になり。伝わってくる一緒に居たく無い感?この子つまんない感?でも少し距離置くとなんでと怒られ。なにがなんやら。コミュニケーションが本当にうまくいかなかった。バイトも絶不調。行く度に出来てなかったと注意され。自分じゃないのにどうせあなたでしょみたいに言われ。わけわからん客に怒鳴り散らされ。平和に終わった日でさえ帰りながらぼろぼろ泣けてきて。通学前出勤前は玄関で蹲り。

降りなきゃいけない駅で降りられなくなったり、電車に乗れなかったり、駅までたどり着けずに帰ってきちゃったり。眠れないし全身が鉛のように重くて。だんだんと色んな事が出来なくなっていった。あの頃は本当にしんどかったね。

 

でもこうして見ると、最初からできなかったわけでは無くて、最初は出来てたんだよ。人づきあいもアルバイトも。友達と話すのも遊ぶのも楽しかったしバイトもすっごく前向きに頑張ってた。その頑張りをしっかり見ていてくれてる人もいた。

たまたま、なんか色々重なって、その時出来なかっただけで、今も出来ないわけではないんじゃないかな。元々ちゃんと出来る力持ってるし、1回無くしたけどちゃんと復活してる気がする。もう十分復活してると思う。

次に進まないといつまで経っても上書きできないからね。がんばろ。

 

落ち込むだけ落ち込んだらスーッとポジティブ思考が湧いてくる機能素晴らしい。

 

世の中は人間だけじゃないし、深海とか宇宙とか歴史とか創作の物語とかそういう世界に生きながら人間ともそこそこうまくやれたらいいや。昨日テレビで観た深海の生き物、本当に素晴らしかった。あのガチャガチャのカプセルみたいなやつ超乗りたい。ああいう世界に夢中になりながら生きて行けたらいいや。えいえいおー

 

卒業やったね!はなまる!

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我を忘れるほど

 

つい、後ろ向きになって、反抗期の小娘みたいな気持ちになって、

不満とか文句ばっかり並べてしまう。つまらない、くだらない、無駄でしかない。

文句ばっか言って、嫌々やって、形だけやってます風装って。

「ちゃんとする」ってなんだろ。「丁寧に生きる」ってなんだろ。

つまんない顔してると、何もかもがつまらなく感じてしまう。

もっと「ワクワクする」とか「楽しむ」とか、「参加する」とか

前のめりになりたい1年。

おもたーい体をかる~くしたい1年。

色んな場や顔に出会いたい1年。

 

「やりたいことがみつからない」という相談に、「この世に魅力が無いのね。あんな風になりたい。と憧れられる大人がいないのね」って答えた人が居て、それがすごく印象に残っている。テレビで見てて、(この国は恵まれているのに贅沢だ。とか、「やろうと思えば何でもできる、あなたにやる気がないだけ」的な回答なんだろうな)と思っていたから、「この世に魅力が無い」はものすごく意外で、笑ってしまった。

 

多分、この世に魅力はある。楽しそうに生きてる大人もたぶん居る。

なんでもいいから、気付くか気付かないか、の違いなんだろうなと思う。

 

つい最近まで、嫌で嫌で仕方なかった物が、なんとなくすごく大事に思えて、もっと関わろうと思えたことで1つ楽になった気がする。結局私の気分次第かよ。気分で見方や感じ方が変わるなら、甘ったれでものんびりでもあほでもけらけら笑える方がいいなぁ。

部屋の換気や掃除と同じで、何かが溜ったり、詰まったり、散らかしたりほったらかしにしておくと、濁って重く重くなってしまうから、やらなきゃならんことは1つ1つ早めに片づけていくこと。心の換気をすること。隠し事って、素直に言って怒られるよりずっとずっとしんどいね。

 

 

 

 

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むかしのこと

いじめられる方も悪い、ってなんだろう。なんなんだろう。

人を好きになれない理由はあっても、人をいじめていい理由って無いんじゃないかな。

皆と違うことを理由に、皆より出来ない事を理由に、なんか気に入らない事を理由に、その人を傷つけて苦しめていいのかしら。言葉や行動でその人の心を殺していいのかしら。嫌いになる理由はあっても、いじめていい理由はないだろう。

 

完璧な人なんかいなくて、万人に好かれる人もいなくて、長所も誰かの短所になり、誰かの好きは誰かの嫌いで、理由なんか、人の粗なんか、探せばだれでもいくらでもでてくるわけで、「だからいじめていい」「だからあいつを傷つけていい」って絶対イコールにしちゃだめだと思うんだよね。

 

私はそう思うから、

「いじめられる方も悪い、いじめられる人に原因がある」と言われると納得が出来なくて、すごく嫌な気持ちになる。言葉と文章が下手でごめん。

 

私、いまだに泣きそうになる。当時から、10年近く経っているのに、忘れられたようで、現在の大好きなものに心が満たされる一方で、どうしようもなく、昔の痛みがよみがえる。以前に比べて悲しい気持ちは治まりつつあるし、思い出してもしんどくないことも増えた。自分の何がいけなかったのか、どうすればよかったのか、なんで自分で、私は皆と何が違ったのか、とか、いつまでも許せないでいる自分の狭さとか、あれこれ長い時間をかけて考えたけど、やっぱりよくわかんない。

一番、少しでも理解してほしかった人に「いじめられる方も悪い」という話をされ、

色んな気持ちがわいてきて、ここに書いているけれど、もうよくわかんないや。

 

私に原因があったとするなら、私とおしゃべりしたこともない、お互いの事をほとんど知らないままで、たまたま同じ学年でたまたま同じクラスだったってだけで、あんな惨めな思いをする原因が私にあったとするなら、私は存在しているだけでキモくて、毎日毎日死ねと唱えられ、座ってるだけでゴミや消しかすが飛んでくるような、そんな様子をクラスメイトに笑われるような、大事なものを捨てられるような、汚いもののように扱われる。私はそんな人間なのかいと、そんなことないだろう、と思いたい。存在はしててもいいでしょうと思いたい。理由はよく分からないけど私が悪かったのだ、と思う私と、私は何にも悪くなかったと思う私と、いまだによくわかんない。

どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく惨めだ。

 

私が何かキモくて仲良くできないわーと思ったなら放っておいてくれて結構だ。毎日毎日ご丁寧に不幸の言葉を届けてくれなくて結構。暇さえあれば私をお前らの笑いにつかうのはやめてくれ。お願いだから、放っておいてくれ。私はあなたの声なんか聴きたくない。顔も見たくない。自分の仲間たちと勝手に遊んでろ。「みんななかよし」「みんなとなかよくしましょう」なんかクソくらえだ。

 

「戦え。自分は何も悪くないと思うなら正々堂々としていればいい」なんて言うけど当時の私には無理だったよ。なんで、生きてるだけで戦いに引っ張り出されなくちゃいけないんだ。平穏がいいよ。とか弱腰だからだめなのかな。

 

あれから10年近く経って、なんとなく、それも1つの経験として受け入れつつある部分と、やっぱりどうしても許せない部分とがある。

思い出しても何ともないや、ってことが増えつつも、つけられた傷と許せない気持ちはずっと残ったままで、私をいじめた人たち酷い死に方しろと心の中で呪ってる。…人を呪わば穴二つ、なのかなぁ。こう思う時点で私は彼らと同じになってしまうのかなぁ。こういう陰気なところがだめなんだろうね。はいはい。

 

それでも、古傷いじくりまわすのは楽しくないし、かさぶたをじーーっと見てるのにも疲れた、誰かを恨んでる自分も嫌だ。過去ばっかり見ていると今を見れなくて、無視され続けた今が望んだところにいけなくて後悔したから、これからを考え、これからの自分を大事に、満たしていくしかないんだろうなぁ。たまにかさぶたいじりながら。

 

記憶の中の彼等は小学生のままで、私はもう大人。小学生の彼等を怖いと思うことが無くなりつつある。小学生の言葉は痛くもかゆくもなくて、今ならやり返すことが出来るとさえ思う。でももう今更どうしようもないね、という気持ちと、許せない気持ちと、もういいよ復讐がしたいわけじゃない、過去ばっかり見てると私が幸せになれない。と思う気持ちと、泣きたくなる気持ちと、人に馬鹿にされるかもしれない、嫌な言葉を思われる、またいじめられるかもしれない、人の輪に馴染めるだろうかという不安と、過去を大事に大事に抱えて悲劇のヒロインぶって自分が何かを出来ない理由に「いじめられたこと」を利用してるだけだ、と思う気持ちと、抱えたくて抱えてるんじゃない捨て方が、忘れ方がわからないんだと思う気持ちと、思い出す隙がないくらい幸せになればいいじゃんと思う気持ちと、そんなこと分かってんだよ、と思う気持ちと。

もう、どう処理すればいいのか分からない、矛盾ばかりで行き場のない感情ばっかりだ。

 

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そんなものはない

 

あれもやらなきゃこれもやらなきゃ

興味ないけどやらなきゃいけないことが次から次へとやってくる。うんざりだ。じゃあ、好きとか面白いとか関心を持って取り組むものあるの?無い。何にもしたくない。ぼーっと。ぼーーっとしたまま10分経ち2時間経ち気付けば夕方。ご飯食べてお風呂入っておやすみ。ひたすら時間を消費していくだけ。私の脳みそは死んでるんじゃないかと思うこと多々。

 

やりたいことだけ。好きなことだけ。出来る事だけ。面白い事だけ。楽しい事だけ。これだけで毎日が染まればいい。そんな風に思うこともあるけれど多分目の前に楽しい事があっても、自分では何もしない私は不服な顔をして毎日つまらないと嘆くんだろう。

 

「不幸になるのは、また不満を抱くのは易しいこと。ただじっと座っていればいいのだ、人が楽しませてくれるのを待っている王子のように。」(アラン幸福論)

アラン幸福論が大好きでちょくちょく読み返す。100年近く前に書かれたものだけど、現代にも通ずることがたくさん書かれている気がする。

 

なんとなく、それが正しいと分かってる。何がだめかも分かってる。そうすれば楽になれるんだろうなとも思う。何にもしないで文句を言うのも楽だけど退屈になるのも簡単。なんとなく、毎日が楽しくない。自分が何をしてると楽しいのかも分からない。目の前に楽しい事が降ってくるのをただ待っている。心に居座る王様を追放できるだろうか。ポチッと押せば気分が切り替わるそんなスイッチがあればいいのになあ。

 

 

追記。 

電気が点いたり消えたりするみたいにパッパッとは切り替われないけど

気分がすーっと変わっていくきっかけはある気がする。

スイッチはないけどきっかけはある。

お風呂入るとか美味しいご飯食べるとか歌うとか散歩するとか喋るとか昼寝するとか落ちるとこまで落ちちゃうとか。

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