そんなこと。

気紛れに。

我を忘れるほど

 

つい、後ろ向きになって、反抗期の小娘みたいな気持ちになって、

不満とか文句ばっかり並べてしまう。つまらない、くだらない、無駄でしかない。

文句ばっか言って、嫌々やって、形だけやってます風装って。

「ちゃんとする」ってなんだろ。「丁寧に生きる」ってなんだろ。

つまんない顔してると、何もかもがつまらなく感じてしまう。

もっと「ワクワクする」とか「楽しむ」とか、「参加する」とか

前のめりになりたい1年。

おもたーい体をかる~くしたい1年。

色んな場や顔に出会いたい1年。

 

「やりたいことがみつからない」という相談に、「この世に魅力が無いのね。あんな風になりたい。と憧れられる大人がいないのね」って答えた人が居て、それがすごく印象に残っている。テレビで見てて、(この国は恵まれているのに贅沢だ。とか、「やろうと思えば何でもできる、あなたにやる気がないだけ」的な回答なんだろうな)と思っていたから、「この世に魅力が無い」はものすごく意外で、笑ってしまった。

 

多分、この世に魅力はある。楽しそうに生きてる大人もたぶん居る。

なんでもいいから、気付くか気付かないか、の違いなんだろうなと思う。

 

つい最近まで、嫌で嫌で仕方なかった物が、なんとなくすごく大事に思えて、もっと関わろうと思えたことで1つ楽になった気がする。結局私の気分次第かよ。気分で見方や感じ方が変わるなら、甘ったれでものんびりでもあほでもけらけら笑える方がいいなぁ。

部屋の換気や掃除と同じで、何かが溜ったり、詰まったり、散らかしたりほったらかしにしておくと、濁って重く重くなってしまうから、やらなきゃならんことは1つ1つ早めに片づけていくこと。心の換気をすること。隠し事って、素直に言って怒られるよりずっとずっとしんどいね。

 

 

 

 

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むかしのこと

いじめられる方も悪い、ってなんだろう。なんなんだろう。

人を好きになれない理由はあっても、人をいじめていい理由って無いんじゃないかな。

皆と違うことを理由に、皆より出来ない事を理由に、なんか気に入らない事を理由に、その人を傷つけて苦しめていいのかしら。言葉や行動でその人の心を殺していいのかしら。嫌いになる理由はあっても、いじめていい理由はないだろう。

 

完璧な人なんかいなくて、万人に好かれる人もいなくて、長所も誰かの短所になり、誰かの好きは誰かの嫌いで、理由なんか、人の粗なんか、探せばだれでもいくらでもでてくるわけで、「だからいじめていい」「だからあいつを傷つけていい」って絶対イコールにしちゃだめだと思うんだよね。

 

私はそう思うから、

「いじめられる方も悪い、いじめられる人に原因がある」と言われると納得が出来なくて、すごく嫌な気持ちになる。言葉と文章が下手でごめん。

 

私、いまだに泣きそうになる。当時から、10年近く経っているのに、忘れられたようで、現在の大好きなものに心が満たされる一方で、どうしようもなく、昔の痛みがよみがえる。以前に比べて悲しい気持ちは治まりつつあるし、思い出してもしんどくないことも増えた。自分の何がいけなかったのか、どうすればよかったのか、なんで自分で、私は皆と何が違ったのか、とか、いつまでも許せないでいる自分の狭さとか、あれこれ長い時間をかけて考えたけど、やっぱりよくわかんない。

一番、少しでも理解してほしかった人に「いじめられる方も悪い」という話をされ、

色んな気持ちがわいてきて、ここに書いているけれど、もうよくわかんないや。

 

私に原因があったとするなら、私とおしゃべりしたこともない、お互いの事をほとんど知らないままで、たまたま同じ学年でたまたま同じクラスだったってだけで、あんな惨めな思いをする原因が私にあったとするなら、私は存在しているだけでキモくて、毎日毎日死ねと唱えられ、座ってるだけでゴミや消しかすが飛んでくるような、そんな様子をクラスメイトに笑われるような、大事なものを捨てられるような、汚いもののように扱われる。私はそんな人間なのかいと、そんなことないだろう、と思いたい。存在はしててもいいでしょうと思いたい。理由はよく分からないけど私が悪かったのだ、と思う私と、私は何にも悪くなかったと思う私と、いまだによくわかんない。

どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく惨めだ。

 

私が何かキモくて仲良くできないわーと思ったなら放っておいてくれて結構だ。毎日毎日ご丁寧に不幸の言葉を届けてくれなくて結構。暇さえあれば私をお前らの笑いにつかうのはやめてくれ。お願いだから、放っておいてくれ。私はあなたの声なんか聴きたくない。顔も見たくない。自分の仲間たちと勝手に遊んでろ。「みんななかよし」「みんなとなかよくしましょう」なんかクソくらえだ。

 

「戦え。自分は何も悪くないと思うなら正々堂々としていればいい」なんて言うけど当時の私には無理だったよ。なんで、生きてるだけで戦いに引っ張り出されなくちゃいけないんだ。平穏がいいよ。とか弱腰だからだめなのかな。

 

あれから10年近く経って、なんとなく、それも1つの経験として受け入れつつある部分と、やっぱりどうしても許せない部分とがある。

思い出しても何ともないや、ってことが増えつつも、つけられた傷と許せない気持ちはずっと残ったままで、私をいじめた人たち酷い死に方しろと心の中で呪ってる。…人を呪わば穴二つ、なのかなぁ。こう思う時点で私は彼らと同じになってしまうのかなぁ。こういう陰気なところがだめなんだろうね。はいはい。

 

それでも、古傷いじくりまわすのは楽しくないし、かさぶたをじーーっと見てるのにも疲れた、誰かを恨んでる自分も嫌だ。過去ばっかり見ていると今を見れなくて、無視され続けた今が望んだところにいけなくて後悔したから、これからを考え、これからの自分を大事に、満たしていくしかないんだろうなぁ。たまにかさぶたいじりながら。

 

記憶の中の彼等は小学生のままで、私はもう大人。小学生の彼等を怖いと思うことが無くなりつつある。小学生の言葉は痛くもかゆくもなくて、今ならやり返すことが出来るとさえ思う。でももう今更どうしようもないね、という気持ちと、許せない気持ちと、もういいよ復讐がしたいわけじゃない、過去ばっかり見てると私が幸せになれない。と思う気持ちと、泣きたくなる気持ちと、人に馬鹿にされるかもしれない、嫌な言葉を思われる、またいじめられるかもしれない、人の輪に馴染めるだろうかという不安と、過去を大事に大事に抱えて悲劇のヒロインぶって自分が何かを出来ない理由に「いじめられたこと」を利用してるだけだ、と思う気持ちと、抱えたくて抱えてるんじゃない捨て方が、忘れ方がわからないんだと思う気持ちと、思い出す隙がないくらい幸せになればいいじゃんと思う気持ちと、そんなこと分かってんだよ、と思う気持ちと。

もう、どう処理すればいいのか分からない、矛盾ばかりで行き場のない感情ばっかりだ。

 

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そんなものはない

 

あれもやらなきゃこれもやらなきゃ

興味ないけどやらなきゃいけないことが次から次へとやってくる。うんざりだ。じゃあ、好きとか面白いとか関心を持って取り組むものあるの?無い。何にもしたくない。ぼーっと。ぼーーっとしたまま10分経ち2時間経ち気付けば夕方。ご飯食べてお風呂入っておやすみ。ひたすら時間を消費していくだけ。私の脳みそは死んでるんじゃないかと思うこと多々。

 

やりたいことだけ。好きなことだけ。出来る事だけ。面白い事だけ。楽しい事だけ。これだけで毎日が染まればいい。そんな風に思うこともあるけれど多分目の前に楽しい事があっても、自分では何もしない私は不服な顔をして毎日つまらないと嘆くんだろう。

 

「不幸になるのは、また不満を抱くのは易しいこと。ただじっと座っていればいいのだ、人が楽しませてくれるのを待っている王子のように。」(アラン幸福論)

アラン幸福論が大好きでちょくちょく読み返す。100年近く前に書かれたものだけど、現代にも通ずることがたくさん書かれている気がする。

 

なんとなく、それが正しいと分かってる。何がだめかも分かってる。そうすれば楽になれるんだろうなとも思う。何にもしないで文句を言うのも楽だけど退屈になるのも簡単。なんとなく、毎日が楽しくない。自分が何をしてると楽しいのかも分からない。目の前に楽しい事が降ってくるのをただ待っている。心に居座る王様を追放できるだろうか。ポチッと押せば気分が切り替わるそんなスイッチがあればいいのになあ。

 

 

追記。 

電気が点いたり消えたりするみたいにパッパッとは切り替われないけど

気分がすーっと変わっていくきっかけはある気がする。

スイッチはないけどきっかけはある。

お風呂入るとか美味しいご飯食べるとか歌うとか散歩するとか喋るとか昼寝するとか落ちるとこまで落ちちゃうとか。

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ありきたりのこと

 

こんなこと言うとあほみたいだけど、

「特別」とか「天才」とか「すごい人」に憧れていた。

私もその枠組みに入りたくて、自分は皆とは何かが違う。とか思いたかった。

そりゃ同じ人なんかいないよと言われたらそうなんだけど。そうじゃなくて。

 

天才とは努力する凡才のこと と言うけれど、努力することも才能の1つなんじゃないかと思ったり。努力って、他人から見れば努力だけど本人の感覚的には没頭していることを言うのかなと思う。没頭できるものに私はまだ出会えていない。と言いつつ、自分が努力できない事を才能のせいにしてるだけ、と突っ込むもう一人の自分。わかってるわい。

最近になって私は特別にも天才にもすごい人にもなれないなとやっと気付いた。と思う。そこら辺に居る、普通の人でしかない。変人ぶった普通の人。

 

 

「力いっぱい戦った後で無ければ負けたと言うな」

そもそも戦ってないや。何にもしてないや。毎日じっとぼーっとしてる。そりゃ敗者にも勝者にも何者にもなれないか。上ばっか見てないでまずは足元固めなさいよって話だな。こつこつ足元積み重ねればそこからどこかにたどり着くかもしれないね。

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お金のこと

 

お金が無くても触れられる、体験できる世界があるっていいな。誰かの「欲しい」に「どうぞ」って送った恩がいつか巡り巡って自分に返って来るんじゃないだろうか。なんとかの恩返しみたいな。とはいえ、結局世の中はお金だし全てがこうなるとは思えないけど、お金の有無は関係ない世界がもう少しあっても良いなと思う。

 

1000円のゴミもあれば、タダの宝物もある。値段と価値はイコールではない気がする。難しいのは「人は何に価値を感じるか(何にお金を払うか)」が一人一人異なっている事。有料はタダに勝てないという人がいるけれど、そんなことないと思う。

いくらタダでもゴミはいらないし「欲しい」と思う魅力があればお金を払って買うよ。画像検索で旅行した気分になることもあれば、「いつかここに行きたい」と旅行資金を貯めて現地の空気を吸いに行くこともあるよ。頑張れってテレビの前で応援することもあれば、応援の意味を込めて商品を買うこともある。古本で買ったり新刊を買ったり。無料も、安いのも、高いのも、お金じゃ買えないものも、織り交ぜながら生活しているものじゃないかな。しらんけど。そんなことよりビルゲイツ、私にお小遣いくれないかなぁ…。

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言葉のこと

言葉で死にたくなることもあれば、言葉で生きる元気を貰うこともある。

言葉は魔法だ。なんて言うと「寒~」って思われそうだけど

でも、あながち間違いではないと思う。

 

誰かを呪う言葉を使うことのないように、と思っていても思わぬところで誰かを傷つけたり、悲しませたり怒らせたりしてるんだろうな。もう一言も喋りたくないなと思うこともある。自分の口から出た言葉が怖くなる。人に出した言葉は消えない。

悲しいことほどよく覚えていたりして。嬉しかった言葉を忘れるのはなんでなんだろなぁ。優しい事はすーっと過ぎて行って冷たい事がずーんと居座るのなんでなんだろなぁ。難しい。クソとか馬鹿とか酷い死に方しろとか汚い言葉が心をぐるぐる。口に出さなくても思ってたらアウトかね。心の言葉くらいはギリギリセーフであってほしい。

 

徹子さんが「女性はこの野郎とか言っちゃだめよ」って言ってた。この野郎とか言わない女性になりたいなと思ったけど愛嬌のある「この野郎っ」ならいいかしら。なんだかなぁ。

 

人を呪うことも生かすことも出来てしまう。言葉の使い方ってとても難しいのに反射的に言葉を使っていて、もうちょっと考えなきゃなと思ったり。言葉上手になりたいなぁ。これからも、お守りのような言葉を持っていたいなぁ。

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把握、管理すること

今やらなくちゃいけないことを、小さなノートに書いて、目につくところに置いておくと、一目で課題が分かって良い。

こういうの、頭の中で処理できればいいんだけど見えないと無い事にしてしまう経験から、書いて目立つところに置く、を実践。できたら〇をつける。付箋を取る。片付いてる実感があって良い。ちゃんとやれてる。予定よりもかなり進んだ。

 

出だしの勘違い&思い込みから間違ったまま今日まで突き進み、まぁ、よくないことになったのだけど、…まぁいいや。嘆いても怒ってもやらなきゃいけないことは変わらないし、やるしかない。とにかくもう、やるしかない。とことん詰めの甘い自分に笑えてきた。所属先が増えていいじゃないか、今まで出来なかったことをしてやろう。落ちるとこまで落ちたし、だめなときはだめだ。でもこの痛手から学んだことがある。遠回りしてる自分だけが体験したものがある。これもユーモアにしてしまえ。結局捉え方だよなぁ。もう何やってもダメだって人間やめたくなるのか、受け入れて反省して開き直って笑い話にするのか。綺麗事だなと思うけど、人生ギャグにしなきゃ生きてけないね。

明日も早起き、勉強、家事。はりきるぞー